2012-3-11 10:10
一年たちましたねえ。
あの日のこといろいろ思い出すわ。
震災直後、明日営業するつもりで、必死に店の中片付けたっけなあ。
明日土曜日なのに!忙しいのに!って。
余震で片付けても片付けても、棚から化粧品落っこちてきたっけなあ。
明日営業できるとか、そんなレベルでないことわかってるようでわかってなかった。
栞を迎えに行ったら婦警さんに「駅ビル倒壊の恐れがあるので入らないでください!」
って言われて・・・。
大雪が降ってきた中、呆然としたっけ。
「娘がS−PALで働いているんですけど!!」
「大丈夫です、みなさん西口側に避難されたはずです」
よ、よかった〜〜〜。
(あとから栞に聞いたら、震災のちょうどその時、フィッティングルームでお客様に上から下まで3万円のコーディネート(服と靴)勧めて「お似合いですよ〜〜♪」って言ってたとこだったんだって。そのお客様は値札をつけたままの服を着てお金を払わず帰ってしまったらしい。今もそのまま。う〜〜ん、おうちがどうなってるのかわからないし、仕方ないね。)
スタッフを家まで送って帰ってきたら夜の8時半。
渋滞で渋滞で。信号も街灯もつかない真っ暗な夜の道。車のヘッドライトのおかげでなんとか車線がわかる感じだった。
家についたら真っ暗なもんで落ちてたガラスいっぱい踏んづけて両足の裏が血だらけ。でもなぜかすぐには気づかなくてね。あとでびっくり。
真っ暗な中で一晩中鳴り続けるサイレンには、ほんとまいったね。一晩だけじゃないんだもん。寒いし。余震すごくて震度4とか5とかでひっきりなしに揺れ続けだし。ここは日本なのか戦争中のどこかの国なのか・・・?「恐怖」ってこういうことなのかって思った。
電気が来てもガスがこないから(それも1ヶ月!)寒い中小学校に3時間並んで汲んできた水、電気ポットで何度も何度も沸かして体洗った毎日だった。うちのティファールいつ壊れるかって感じの酷使の仕方。
4日目か5日目くらいに栞が熱出して、あたしも具合悪くなって病院行こうとしたら、ガソリン待ちの大渋滞にはまって動けず。ぐったりした栞と血相変えてるアタシ見て前の車のおじさんが交通整理してくれたっけ。病院の先生アタシを見て「ちゃんと眠れてますか?」って聞いてくれたな。
書ききれないからもうやめるけど、そんな毎日の中、少しづつ耳に届き始める知人の訃報。とても弱音なんか吐けない状況だったね。命があってありがたかった。
一年たったね。
♪だから泣いていいんだ 恥ずかしい事じゃない
明日がある人しか出来ない事だから 明日への合図だから♪
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